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Ruru saizeria.

変わってしまう何か変わり続ける何か

ろうそくの火

私の母が、自分の親のことを「おかあさん」と呼んでいるところを見たことがないなと今日ぼんやりしていた時に初めて気がついた。
母の母、私にとってはおばあちゃんである。
おばあちゃんはとても強い人で、母の弱さをわかってあげれなかった。そして私の母も強くなってしまい、私の弱さをわからない人に育った。
おばあちゃんは自分の事を「おばあちゃん」と呼んでほしくないという。昔からそうで私は彼女の前で「おばあちゃん」と呼んだことがない。
母はおばあちゃんの事を名前で呼ぶ。
母とおばあちゃんの間には深い溝がある。その溝といつしか向き合わねばならないと20代を過ぎてから意識していた。それは母も同じの様で、おばあちゃんが経営していた居酒屋を閉めてから母は一人暮らしのおばあちゃんの家によく通っている。
母にはおばあちゃんが親には思えないのだろう、私にとっても母は気のいいおばさんで親には思えない。それと同じだ。

血とは厄介なもので繋がっているだけで他人にはなれない。
私は親戚がとても苦手だったがここ2年意識して会うようにしている。人はいつか死ぬから、せめて生きているうちは仲良くしたいという気持ちとやはりおばあちゃんの事も気になるから親戚にもフォローしてほしいという気持ちも強い。
生きてる限り死亡率100%で、人は突然事故で死んでしまうかもしれない。そしたらもう会えない。
納得のいくコミュニケーションをとりたい。父が死んだ時に私はとても後悔したからだ。人と向きあったり、たくさん話したりするのはそれはきっと私自身のためでもある。

母がおばあちゃんの事を「おかあさん」と呼ぶ日は来ないだろう。だけど解り合える日が来るかもしれない。そう願い続けるしかない。