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Ruru saizeria.

変わってしまう何か変わり続ける何か

犯罪の事を考える

昔の事件を辿るのが何となく好きだ。悪趣味なのかもしれない。でも犯人の動機や、今どうしているのだろうか、そういうことを考える。
これは考えても正解のない話だ。犯人に直接会い、話を聞けたらいいのだけれど私はジャーナリストでもないし、見ず知らずの女に心中を話すわけがない。もしくは見ず知らずの人にこそ聞いてもらいたいのかもしれない。
全然知らない人にこそしゃべれる事ってたまにない?ぶっちゃけた愚痴なんて知らない人にしか話せない。

話が逸れた、犯罪の話だ。
この前小金井市で痛ましい事件があった。私はゾッとした。なんだか秋葉原の事件をその時何故だかわからないけど思い出したのだった。
刺された彼女は重体で、生きていても後遺症が残るかもしれないと言われている。だがそれでも生きて欲しいと思った。
犯人のTwitterやブログを見た。そこには何だかダダをこねた子供がそのまま大人になってしまったような文が書いてあった。そして、「友達が欲しい」とも何度も書いてあった。秋葉原の事件の加藤氏も「孤独」だった。
皆、孤独に振り回され結果として孤独を捨てる。そして無になり、何も失うものはないようになる。何も失うものが無い状態の人間は非常に危険だ。何も失うものが無い人間なんているのだろうか、犯罪を犯すと社会性や人間性が欠如されてしまう。それすら彼らにとってはどうでもいいのだ。そうなるともう止まらない。
三鷹や小金井辺りは普段は穏やかでたまにとても極悪な事件が起きる。三鷹のストーカー殺人事件もそうだった。
久々になんとなくあの事件はどうなったのだろうと思ったら、2016年に懲役22年の判決が下されたらしい。ビックリした。人の命が、一生を奪っておいて22年で出れる。しかし、もしかしたら犯人は更生するかもしれない。更生しても社会が受け入れてくれなかったら?また犯罪を犯してしまうかもしれない。
そんな事を考える。ずっとずっと答えはでない。そうして朝を今日も迎える。