Ruru saizeria.

変わってしまう何か変わり続ける何か

Here's to the fools who dream.

死ぬことばかり考えている。私は幸せなのにどうして死にたくなるんだろうと罪悪感に苛まれる。

 

医者にも行けなくなってしまった。1人で全然外に出れない。お金もない。

心中の話はなくなったような気がして、それなら1人で死のうと思った。

 

死ぬのなら1発で死にたいな、とずっと考えていた。後遺症が残るものや、ただ怪我をして終わるのはお金が勿体無く母親に申し訳ないと思う。

死のうと思う自分と必死に生きようとしている自分がいる、必死に生きようとしている自分をわたしは守らなくてはならない。奴らからだ。

 

もう9月の24日くらいまで予定を立ててしまった。それまでに私は何をするんだろう、もうわからない。

 

もう痛くない

「生きて欲しい」といろんな人から言われた。「死んだら悲しい」とも。

それを言ってくれたのは凄く嬉しかった。だけど死を覚悟している人間に「生きて」は暴力的な言葉だと思った。言われるたびに胸がチクチクと痛んだ。

 

Twitterを始めてからたくさんの人間が周りで死んでいった。会ったことある人も、ない人も。

一番悲しかったのは会ったことある人間の死だ。とても悲しかった、やりきれなかった、もう会えないんだと心の整理がどうもうまく行かなかった。

 

今の私は 怒りもせず、悲しみもせず、嬉しいともおもわず、ただぼんやりとしていたい。

 

遠回りしてた さよなら 戸惑っていた さよなら。

耐えられないことが立て続けにあり、もうダメだとなった時に今まで一生懸命話を聞いたり相談に乗ってた人たちにSOSをだしたが全員連絡はなかった。後から連絡をくれたりしてくれた人はいたが皆軽い返事だった。べつに相談乗ることを「のって“あげている”、話を聞いて“あげている”」というつもりではなくて全部自分のためだ。相手の話を聞くのは自分のためだ。だけど今回は流石に絶望してしまいつくづく人間は1人なのだと実感した。

 

友達と心中の計画を立てている。どうせ死なないけど、まず「心中の計画をたてる」というところで心が少し安定する。

お互いに本当に死ぬかどうか考える期限を決めることにした。私は今すぐにでも決行してもいいのだけど、心の準備や最短は必要だと考えた。期限は1ヶ月だ。

昔中学の頃に信頼している友達に「一緒に死んで欲しい」とお願いしたけど返答は「1人で死ね」だった。彼女が言うことは正しい。

自殺をするなら1人で死ぬべきで、誰かを巻き込むべきではないと思う。私は間違ったことをしている。

もうそれが間違いなのか正しいことなのかなんてどうでもいい。とにかくこの世から消えたい

たくさん良くしてくれる人はいる、恵まれている、わかっている それでもこの気持ちを抑えられない。リストカットももうする気力がない。

 

昔ブログに書いた「年末になったら死にます」というスレを立て、明るくいた女性がいた。私はその彼女にとって“死”というものが“希望”である事を大人になってからわかった。

私も今その“希望”を持っている。私の心の中にある唯一の明るいロウソクだ。消えたら私はもうどうしたらいいかわからない。

 

 

こんな長文を書けるならそのエネルギーを生きることに費やせって?それは無理だ、私には人に愚痴を言う事も上手くできない。ここに自分の素直な気持ちを書くしかない。

 

不透明な夢

小学生の頃好きだった男のコに告白する悪夢をよくみる。彼は私と真逆でスポーツができ、毎回テストが100点だった。そういうところが好きだったわけではない、彼は寒い日も暑い日もずっと同じ格好をしていてあれは今思えばネグレクトだったんじゃないかと思った。彼からはなんとなく死の匂いがして、私はそこに惚れてしまった。助けたいという思いと助けてほしいという思いで一杯だった。不純な動機だったのだ。

 

私はなぜかよく隣の席に当たってしまい照れてほとんど話せなかった。今だから診断されてわかったけど後天的な発達障害のせいか、さんすうがまるでわからず、体育も足が遅かった。どうして皆1位になりたがるかわからなかった。発達障害ならそれをもっと早くに教えてほしかった。

頑張っても頑張っても、周りに教えられても私は覚えられず周りにも呆れられて、ついには自分を諦めた。頑張ることをやめた。テストの結果を親に見せる制度はうちにはなかったし、親は私を育てるので精一杯だった。それは正しいことだと思う。

何かをして褒められる、頑張ってご褒美に何かを買ってもらうなどそういうものはなかった。

 

私は皆とどうして違い、どうして皆は私と違うのかずっと小さい頃は考えていた。

 

熱がある時は悪夢をよくみる、最近は熱がなくてもよく見る。睡眠を苦痛に感じてきた。

死んだら私は夢を見ずに済むのだろうか、それなら少しいいかもしれない。それくらい苦しい夢を毎回見る。

今は気持ちがあまり元気でない、風邪の時に考えても仕方がないことばかり考える。気持ちが死にむかっている。笑えば笑うほど、私の中の何かが死んでいく。

 

他人がどう私のことを思うかなんて気にしても仕方がないのはわかってる、でもどうしても気にしてしまう。私には自信がない。昔からの大きな劣等感だけが私を追い回す。それは大人になっても。

サラダチキン

Netflixドラマ「13の理由」を見ている。元々あった事件をきっかけにしているらしく、1話1話がとても重いが引きがよくてどうしても気になってしまう。

ハンナが孤立した理由は高校生の時の私とよく似ている。そうして、1人を疑い始めた瞬間もう誰も信じられなくなる。彼女の孤独がわかるからこそこのドラマを見なくてはと思う。シーズン2が決まったのでシーズン2がこっちにきてから全部見ようかな?というのもあります…。

 

 

アニメやドラマも映画も漫画も気をつけなければ摂取しなくなる。たくさんの情報が行き交う中で自分が何を選び何を見るかで様々なことが変化していくのを最近は感じる。食事みたいだな〜って思う。

 

今日は父の命日で、何回めだろうか。父の葬式に行かなかったのは今でも少し悔やんでいるけど後悔はしていない。6月6日はいつも天気が悪くて私はなぜか早く起きる。

私が死んだ時、彼に会えるだろう、その時何を話そうかいつも考えている。

“人生を選べ”

私はSNSでのやりとりよりもお互いが直接対面してのやりとりの方が100倍の価値を持っていて、そしてそれはとても意味のあることだと信じています。

正直にいうとTwitterはなくなればいいと思うし、ある日Twitterがなくなった時 皆の動揺を思うとワクワクします。私も動揺するだろうけど笑

Twitterが突然なくなるのはある意味今の時代テロのようなもので、皆はマストドンとかに流れていってしまうのでしょうか。

「昔は良かった」と決して言いたくない。でも昔の方が良い面があり、今の方が優れている面もあると思います。どちらかが良いなんて言えないし、わからない。

この前見たトレインスポッティング2はそんな感じの内容でした。昔、そして今。

 

時代が変われば音楽も変わり、人も変わる。ついてけないのは私だけか、それともついていきたくないのだろうかとたまに思います。

 

同性が怖いことからの脱却、そして混沌

私は3年ほど前にとても仲が良い友達が居ました。その子は岡山に元々住んでおり、ちょくちょく深夜バスに乗っては彼女の家にお泊まりしにいったりしました。

彼女が上京したいといい、すぐ上京してきました。嬉しかったです。上京してすぐに彼女は変わってしまいました。

「可愛くて細くてファッションセンスがいい子と仲良くなりたい、一緒に歩きたい」と言い始め私はそこに含まれて居ませんでした。

 

 

信じていた友情が音を立てて崩れ落ちるのを感じました。人間関係をどんどん変えていく彼女に私は戸惑い、彼女の前で自傷的な事をしてしまい完全に嫌われてしまいました。

私が被害者のように書いていますが、

普通の人が急にメンヘラ的な行動を目の当たりにしたら傷つくと思います。

 

久々に彼女と会って飲んだ時は業界の話ばかりでした。元々彼女は才能があったので上手くやれててそれは嬉しい事です。

 

それからというもの、「可愛さ」や「細さ」、「ファッションセンス」などは私の恐怖の対象になりました。同性は怖いし、信じられなかったです。

最近は1週して開き直り自分の性別がよくわからりません、働いている場所も可愛い子が多くて癒されます。だから、私は多分 元気になりつつあります。